Take a breakなう その1 【「Justice」What’s The Right Thing To Do?】

昨日は、夕方から体調不良…。
いろいろな疲労が蓄積されているのか。


早めに寝たので、夜中に目が覚めてしまい、ベッドの中でいろんなことを考えていた。
ボクは、本当にすばらしい人たちに囲まれて、すごく恵まれているなぁ、とつくづく痛感したよ。
まぁ、それはさておき…
今回は、「正義」について。
■ What's The Right Thing To Do?
「Justice」
名門ハーバード大学で、最も人気のあるMichael Sandel教授の講義。
日々の生活の中で直面する難問において、ソクラテス方式で「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と、学生に投げかけ、活発な議論を引き出し、その判断の倫理的正当性を問うていく。
通常であれば、このMichael Sandel教授の講義を聴講するには、時間とお金をかけて、ハーバード大学へ留学(あるいは入学)し、この授業を選択しなければならない。
門外不出のこの講義が、なんとYoutubeで観ることができる。

無料、というのが、信じられない。
字幕(若干、誤りもあるが…)表示もできるので、興味がある方は、是非。
(ただし、1講義約1時間、全12コマくらい)





■ 「この被告人に実刑を言い渡したら正義が死ぬ」
ラフに「正義」という言葉を使うのは、ある種の危険もあり慎重でありたいが、でも、それを恐れ萎縮し正義を語れない慎重さも、悲しいことだと思う。
正義の実現には、様々な方法があると思うが、弁護士・検察官・裁判官、その他法曹関係者は、それを法を通じて実現しているといえる。


法律をかじったことがある人なら、誰もが知る有名な事件昭和48年4月4日最高裁大法廷判決
刑法200条 尊属殺人罪の法令違憲判決。
語るもできぬ悲しすぎる事件。「全米が泣いた」で済まされるようなものではない。
15人の裁判官中
8人は、刑が重いというもの(多数意見)
6人は、親殺しという罪そのものが倫理的でしかなく許されない(少数意見)
とした。


この判決に携わった裁判官らは、
「この被告人に実刑を言い渡したら正義が死ぬ」
そう感じ、素直な正義感が、この尊属殺人罪の法令違憲の判決を出させたのではないか。


この事件、事実認定では、争う余地はなかった。
とすると、方法としては、破棄自判で憲法違反を宣言するしかない。
ところが、それまで、裁判所は「法令違憲」を出した事はない。
三権分立のもと司法権の独立が確保されているとはいえ、最高裁判所裁判官は、内閣に指名任命されている。
それが理由かは定かでないが、最高裁において、国よりの判決が出されることもあった。


それでも、裁判官らは、この女性を見捨てる事はできなかったのだ。
自己保身とか、理屈とか、自分の今後とか…
そういったものをはるかに超える、素直な正義感が、法令違憲判決の根底にあったのだと思う。





他方、この事件の被告人の弁護を引き受けた弁護士も、忘れてはならない。
国選ではなく、無報酬の私選弁護人。
これは、国選弁護人では各審の度に選任しなおされるため、弁護方針が一貫できないことを危惧したためだそうだ。
控訴審の途中で病に倒れ、息子がそれを引き継いでいる。
弁護士は、この事件の弁護に時間・労力を費やしている間、他の仕事ができない。それでも、無報酬で弁護をし続けた。「損得勘定抜き」とは、このことだろう。
弁護士、それを引き継いだ息子は、「正義のためにやっています」などとの意識は、持っていなかったと思う。
彼らの根底にある素直な正義の心が、気持ちや感情となって、彼らを動かしていたのだろう。